2012年3月15日

5.5 第五章まとめ: 欧州化とEU・ウクライナ関係

第五章で議論してきたとおり、ウクライナにとって欧州化の枠組みの中で自国の発展を続けることは避けて通ることができないのです。EU東方拡大の結果、EUとの新しい境界はウクライナにENPを通じたEUとの新しい関係を構築することを生じさせました。EU東方拡大とその結果としてのENPはウクライナの発展にとって重大な影響を与えているのです。
EUとウクライナの関係はENPの枠組みにおけるコンディショナリティーによって説明することができます。EUはコンディショナリティーを利用してその強大な影響力を近隣諸国へ行使してきました。コンディショナリティーの特性は強く豊かなEUと弱く貧窮したウクライナとの間に成り立つ力の非対称性を示しています。ウクライナのENP参加はウクライナがEUの規範をベストプラクティスとして認識していることを暗に示しています。よってたとえEUによる指示が内政不干渉の原則を侵害してウクライナにとって最良の国益とならないかもしれなくてもEU加盟国の発展水準へ追いつくために、ENP加盟国としてのウクライナはEUの規範を採択しなければならないことを意味します。EUの強大な影響力とEUコンディショナリティーを通じた規範的なEUの権力はEU・ウクライナ関係における顕著な特徴です。この意味においてEUの責任はとても重大なのでその政策は首尾一貫しているべきなのです。
ENPの成果としてのコンディショナリティーの有効性は限られたものです。欧州委員会の進捗報告書が指摘するように、ウクライナ政府内の権力の分離はアクションプランの実行に優先権を与えませんでした。EUコンディショナリティーは一国がEUの規範をベストプラクティスとしての認識している場合によく機能することを考慮すると、ウクライナ政権内の権力闘争がウクライナのアクションプラン履行を邪魔することになりました。さらに世界統治能力指標はアクションプランが完全に履行されず、2004年から2009年にかけてウクライナの発展がのろのろ浮き沈みしたというコンディショナリティーの限界を示唆しています。また世界統治能力指標はウクライナの統治能力水準とEU加盟国最低水準であるルーマニアとブルガリア両国の統治能力水準との間には大きな隔たりがあることを示しました。ウクライナのEU基準への接近は時間がかかりそうですが、ENPの枠組下での連合協定へのウクライナの参加は自国の発展のためにEUコンディショナリティーの影響下でウクライナがEUの指示に従うことを表しています。ウクライナは21世紀における発展を欧州化の波を通じて続けていくのです。

2012年3月14日

5.4.7 世界統治能力指標によるウクライナの発展度合

ウクライナがすべての指標で最低の水準を記録した状況下においてウクライナの統治能力がEU加盟国の最低水準に達していないことを世界統治能力指標は示唆しています。また2007年のEU加盟国であるルーマニアとブルガリアは政治的安定以外のすべての指標でEU加盟国中最低水準を記録しました。この二カ国の政府における統治能力はEU加盟国の最低水準ですが、ギリシャ政府の統治能力はルーマニアとブルガリアの水準に接近しています。ウクライナの市民の声と説明責任の指標は2004年以来改善していますが、その他の指標における2004年から2009年の期間での改善は取るに足らないものとなっています。そして2009年におけるウクライナのすべての指標は悪化しています。浮き沈みが政治的安定と汚職取締の指標で観測されています。欧州委員会の進捗報告と世界統治能力指標の評価が互いに補完しあっていることを考慮すると、権力の分離による政治的不安定が改革を停滞させているため、アクションプラン及び連合工程の実行が予定通り進んでいないようです。よってウクライナのEUの基準や規範に基づいた総合的な発展はENPの導入以来限られたものもしくは取るに足らないものであるということができるでしょう。

2012年3月13日

5.4.6 汚職の取締

汚職の取締(世界統治能力指標より)
汚職の取締はエリートと個人の利益によって大・小規模の汚職および国家による略奪を含む私益のためにどの程度公共の権力が行使されているのかを説明します。[216] ウクライナでは2005年に改善されましたが、その後は悪化しています。2009年にはウクライナと2007年の新規EU加盟国であるルーマニアとブルガリアとの間には大きな隔たりがあります。汚職対策の一連の法案は2009年6月に採択されましたが、その施行はウクライナ議会によって延期されました。他国と比較したウクライナの汚職に関する立ち位置は悪化していると欧州委員会は報告しています。[217]

UKR: ウクライナ
ROM: ルーマニア
BGR: ブルガリア
ITA: イタリア
GRC: ギリシャ
LTU: リトアニア

[216] Kaufmann, D., Kraay, A., & Mastruzzi, M. (2010). p.4
[217] European Commission. (2010, 05 12). Implementation of European Neighbourhood Policy in 2009: Progress Report Ukraine. pp.4-5

2012年3月12日

5.4.5 法の支配

法の支配(世界統治能力指標より)
法の支配は国家がどの程度信頼されており、契約の履行、所有権、警察、裁判所、犯罪と暴力の可能性を含む社会のルールをどの程度守っているのかを示します。[214] ウクライナと2007年にEUに加盟したルーマニアとブルガリアはその水準を一定に保っています。ウクライナとEU加盟国の最低水準との隔たりは2004年以来変わっていません。ウクライナの欧州評議会加盟(1995年)から一年以内に施行されるべきであった刑事訴訟法典の草案が議会の第一読会でようやく通過したため、司法改革と法の支配の進捗は限られた範囲内にとどまったと欧州委員会は報告しています。[215]

UKR: ウクライナ
BGR: ブルガリア
ROM: ルーマニア
ITA: イタリア
GRC: ギリシャ
SVK: スロバキア

[214] Kaufmann, D., Kraay, A., & Mastruzzi, M. (2010). p.4
[215] European Commission. (2010, 05 12). Implementation of European Neighbourhood Policy in 2009: Progress Report Ukraine. p.4

2012年3月11日

5.4.4 規制の品質

規制の品質(世界統治能力指標より)
規制の品質は健全な政策と民間部門の発展を可能、促進する規制を提供する能力です。[212] ウクライナが期間中わずかに低下した一方でEU加盟国最低水準国としてのルーマニアは2004年以来改善しました。2008年5月にウクライナは世界貿易機関(WTO)に加盟したにもかかわらず、ウクライナは関税評価のWTOルールを完全に尊重していないと欧州委員会は指摘しています。さらに欧州委員会は企業統治を促進するためのさらなる努力が必要であるとも報告しています。[213]

UKR: ウクライナ
ROM: ルーマニア
BGR: ブルガリア
GRC: ギリシャ
SVN: スロベニア

[212] Kaufmann, D., Kraay, A., & Mastruzzi, M. (2010). p.4
[213] European Commission. (2010, 05 12). Implementation of European Neighbourhood Policy in 2009: Progress Report Ukraine. pp.9-10

2012年3月10日

5.4.3 政府機能の有効性

政府機能の有効性(世界統治能力指標より)
政府機能の有効性は公共サービスの品質、行政サービスの実行力と政治的圧力からの独立性、政策形成の品質を意味します。[210] ウクライナでは2005年にわずかに改善しましたが、その後は少しずつ悪化しています。2009年の状況は2004年よりも悪化しているため、ウクライナとEU加盟国の最低水準であるルーマニアとの間には隔たりがあります。ウクライナ政府によって行政改革の草案、行政サービスの草案、国家行政の改革の分野における努力が行われているにもかかわらずその文書が存在しないことを欧州委員会は報告しています。[211]

UKR: ウクライナ
ROM:ルーマニア
BGR: ブルガリア
ITA: イタリア
GRC: ギリシャ
LVA: ラトビア

[210] Kaufmann, D., Kraay, A., & Mastruzzi, M. (2010). p.4
[211] European Commission. (2010, 05 12). Implementation of European Neighbourhood Policy in 2009: Progress Report Ukraine. p.4

2012年3月9日

5.4.2 政治的安定と暴力・テロリズムの排除

政治的安定と暴力の排除(世界統治能力指標より)
政治的安定と暴力の排除は政府がテロリズムを含む非法規的や暴力的な手段によって不安定になりうる公算です。[208] 2007年にウクライナはルーマニアの水準に接近しましたが、2009年には急降下しています。しかしスペインとギリシャが政治的安定に関して大きく低下しているため、ウクライナの水準はスペインとギリシャのものに近くなっています。欧州委員会によると、ウクライナの大統領、首相、議会における権力の不確かな分割による政治状況の不安定さは改革を実行することを妨げ、ウクライナの結束と指導者の指導力に関する問題に取り組む継続的な必要性があると報告しています。[209]

UKR: ウクライナ
ESP: スペイン
GRC: ギリシャ
GBR: 英国
CYP: キプロス
ROM: ルーマニア

[208] Kaufmann, D., Kraay, A., & Mastruzzi, M. (2010). p.4
[209] European Commission. (2009, 04 23). Implemantation of European Neighbourhood Policy in 2008: Progress Report Ukraine. p.2, European Commission. (2010, 05 12). Implementation of European Neighbourhood Policy in 2009: Progress Report Ukraine. p.3

2012年3月8日

5.4.1 市民の声と説明責任

市民の声と説明責任(世界統治能力指標より)
市民の声と説明責任は政府の選択、表現の自由、結社の自由、自由な報道に一国の市民がどの程度参加できるのかを示唆します。[206] ウクライナでは2004年から2006年にかけて改善しましたが、その後は変化しませんでした。大統領選挙はOSCEと欧州評議会の責務に基づいて実施され、2004年以来進歩がみられたと欧州委員会は報告しています。[207] しかしウクライナの改善にもかかわらず、依然としてEU加盟国とウクライナの水準には隔たりがあります。

UKR: ウクライナ
ROM:ルーマニア
BGR: ブルガリア
LVA: ラトビア
SVK: スロバキア
LTU: リトアニア

[206] Kaufmann, D., Kraay, A., & Mastruzzi, M. (2010). p.4
[207] European Commission. (2010, 05 12). Implementation of European Neighbourhood Policy in 2009: Progress Report Ukraine. p.4

2012年3月7日

5.4 ウクライナの発展

ENPの枠組みとアクションプランおよび連合工程の監視過程はEU加盟の過程をまねているように見えます。この類似性についてサッセはENPのもとでのアクションプランは民主主義の条件、市場経済、EUの法体系であるアキ・コミュノテールを受け入れる能力を明記したコペンハーゲン基準に従っていると指摘しています。[202] 実際、欧州委員会はENPの枠組みのもとで定期的な評価基準の達成度を報告する「進捗報告書」を発行し続けています。そしてこの進捗報告書はEU加盟過程における加盟候補国の報告書と同じタイトルです。EUはウクライナのEU加盟という目標を保留していますが、サッセはウクライナの場合におけるENPを「EU加盟へイエスかノーという議論からEUへの段階的な近似と統合への過程」と評価しています[203]
このウクライナにおけるENPの実体とこの章で議論したEUコンディショナリティーの特徴に従って、この節ではウクライナがEU加盟国と比べてどの程度EUの定める基準を満たしているのかを欧州委員会の発行する進捗報告書と共に計測することを試みます。1993年6月のコペンハーゲンサミットは重要となる第七章a-iii節にて以下のように結論づけています。
EU加盟は民主主義、法の支配、人権、少数民族の権利保護に対する配慮、市場経済が機能していること及びEU内の市場競争に耐えうる能力を保証する政府機関の安定を加盟候補国に要求します。加盟はEUの政治的、経済的、金融的な統合目的を厳守することを含む加盟国としての義務を果たす能力を加盟候補国が有していることを前提としています。[204]
コペンハーゲン基準は主に政府機構の発達と統治能力についての一定の水準について言及しています。世界銀行によって提供される世界統治能力指標[205]はこの一定の水準を計測することに役立ちます。世界統治能力指標は世界中の212カ国の各政府指標を総合したものです。データは英エコノミスト・インテリジェンスユニット米国国務省などのシンクタンク、非政府機関、国際・政府機関などの多様な調査機関より集められています。世界統治指標による指標は「市民の声と説明責任」、「政治的安定と暴力・テロリズムの不在」、「政府による統治能力」、「規制の品質」、「法の支配」、「汚職の取締」という6つの統治に関する側面を提供します。これら6つの指標は独立的な視点から統治に関する客観的な評価を与え、コペンハーゲン基準が言及した民主主義の保証、法の支配、人権、市場経済の機能という領域をカバーするものです。このような理由により、ウクライナとEU加盟国の統治に関する品質を世界統治指標によって分析することは妥当で有益なことといえるでしょう。
もしコペンハーゲン基準とアキ・コミュノテールの採択を実行することがEU加盟国の政府機関の統治能力を標準化し、一定の水準の統治能力を保証するのであれば、世界統治指標ではEU加盟国における指標水準のある程度の一致を観測し、アキ・コミュノテールで謳われる水準に満たないウクライナの統治能力はEU加盟国の最低水準を大きく下回るはずです。この考えに従い、ウクライナの統治能力とEU加盟国の最低水準の統治能力の間の距離を計測するため、各指標をウクライナと2009年の最低水準のEU加盟国5カ国について見てみることにしましょう。またEU・ウクライナのアクションプランで計画された期間およびユーシェンコ政権の期間である2004年から2009年の範囲で比較を行います。
世界統治能力指標は標準化された-2.5から+2.5の範囲での単位によって計測され、高い値がよい統治能力を有することに一致します。この節を執筆している2010年12月現在、最新の世界統治能力指標は2010年9月に発表された2009年の情報です。

[202] Sasse, G. (2008). p.302
[203] Ibid. p.308
[204] European Union. (1993, 06 22). EUROPEAN COUNCIL IN COPENHAGEN - 21-22 JUNE 1993- CONCLUSIONS OF THE PRESIDENCY -.
[205] The World Bank Group. (2010). The Worldwide Governance Indicators (WGI) project, Kaufmann, D., Kraay, A., & Mastruzzi, M. (2010). The Worldwide Governance Indicators: Methodology and Analytical Issues.

2012年3月6日

5.3 連合工程と連合協定

2009年11月23日、EU・ウクライナ協力審議会はEU・ウクライナアクションプランの失効に伴い連合工程を採択しました。工程表はアクションプランを置き換え、EUとウクライナ共通の機構的枠組みを更新する連合協定が話し合われることになりました。EU・ウクライナ連合協定に向けて連合工程が暫定的な合意として連合協定が準備導入されることになりました。[199]この第五章を執筆している2010年12月26日現在、連合協定はまだ締結されていません。 2010年11月22日の第14回EU・ウクライナサミットにて欧州委員会委員長バローゾとウクライナ大統領ヤヌコヴィチは連合協定の重要性を強調し、ウクライナの政策がEUの規範や基準、ベストプラクティスへ収束していくことを通じて部門的統合を促すサミットでの議定書を歓迎しました。[200] 工程表は民主主義、法の支配、基本的人権、根本的な自由、汚職対策、外交・安全保障政策、司法における協力、自由と安全保障問題、完全な自由経済の機能を確立させる経済協力、エネルギー協力を促進する政治的対話を明記しました。工程表の最後の段落には両者における共通委員会による工程表の進捗を確認するための監視を明記しました。[201]新たな枠組みである連合協定は今後締結されることになっていますが、暫定的な手段である連合工程の視点はアクションプランの枠組みを超えるものではないようです。

[199] European Commission. (2009, 11). EU-Ukraine Association Agenda. pp.1-3
[200] Council of the European Union. (2010, 11 22). 14th EU-Ukraine Summit (Brussels, 22 November 2010) Joint Press Statement. p.1
[201] European Commission. (2009, 11). EU-Ukraine Association Agenda. pp.6,10,13,15-16,21,35

2012年3月5日

5.2 コンディショナリティーの特性から見るENPの解釈

EUでのコンディショナリティーの起源は明瞭な加盟への前提条件を定義したコペンハーゲン基準にまでさかのぼります。[186]よってEUによって課されるコンディショナリティーの適用は1990年代以来EU加盟希望国が加盟を準備できるようにするためのEU東方拡大と関連しています。[187]
コンディショナリティーという用語を解釈する場合、それは「アメとムチ」または損益計算に基づいた外部インセンティブモデルなどとして多くの学術論文で説明されています。[188] この説明はEU東方拡大と欧州近隣政策(ENP)との間におけるコンディショナリティーの影響を比べる場合に適切です。この場合、ENPはそのEU加盟というインセンティブの欠如のために東方拡大ほど有効ではありません。しかしこの節でEUとウクライナのようなENP加盟国との関係を映し出すコンディショナリティーの特性を念入りに吟味するため、コンディショナリティーの概念を明確に示している国際通貨基金(IMF)からその概念と原則を拝借することにします。おそらくコンディショナリティーという用語はIMFが加盟国を救済するときに数十年にわたって使用されてきました。金融危機の際に危機を克服するためにIMFは厳格な手段を破産寸前の国家に課してきました。この理由によってIMFコンディショナリティーはおそらくそれが1952年に最初に用いられて以来IMFにおける最も議論を呼ぶ政策のひとつとなっています。[189]前IMF業務執行取締役のブイラはコンディショナリティーという用語を「対策プログラムが履行されていることを確実にするために外部からの政策を行使するための援助及び試みを提供する手段である」と定義しています。[190] 彼の定義は最も説得があるように思われるため、この定義とニュアンスをEUとENP加盟国との関係を取り扱うEUコンディショナリティーへも当てはめてみましょう。この文脈ではENP加盟国はEUが提案し、それをENP加盟国が適切を納得したベストプラクティスを実行しなければなりません。よって実際にはENP加盟国はEUからの援助と引き替えに国内の政策を調整しなければなりません。
コンディショナリティーの特性として、確かな政策の適用と引き替えに金銭的、政治的なインセンティブを提供するEUのような外部の力による介入は国家の主権を侵害する可能性があります。アクションプランは共有の合意とENP加盟国の意志によって合意されるものではありますが、[191] 適切と思われるベストプラクティスとしてのEUの基準、EUの価値観、EUの規範、コペンハーゲン基準というような外的要因は国内政策の結果へ影響力を行使することを追求するため、コンディショナリティーは押つけがましく見られることがあります。この特性の背景には豊かで力のあるEUと貧窮して弱いENP加盟国の力関係が理由となっています。この力関係に関してオルセンは援助とEUの基準を受け入れる必要性は力の差異を示唆するというコンディショナリティーの影響力の側面を指摘しています。[192]またサッセはコンディショナリティーの概念は力の非対称性に依存すると論じています。「インセンティブと施行の構造が両者においてより明確でないというENPの文脈上、EUと加盟候補国との関係を特徴付ける力の非対称性はあまり明白ではない」と彼女は指摘しています。[193] さらにブイラは「コンディショナリティーは親や先生が子供を自身の思惑によって指導するパターナリズム(父権主義、温情主義)のように、ある国がその国にとって良いと思われる方向へ導かれる一種の父と子の関係である」とも論じています。[194] この力関係を考慮すると、EUがなぜロシアをENPの枠組みに入れずに対等関係に基づいた「戦略的パートナー」[195]という別の概念を利用しているという理由のひとつがコンディショナリティーの特性によって説明できます。明らかにEUにとってコンディショナリティーを強力なパートナーへ課すことは困難で、EUはEUの規範や価値を共有できない強いパートナーにはコンディショナリティーを課すことはできないのです。これはコンディショナリティーの特性であり前提条件でもあります。もしコンディショナリティーがうまく機能する場合、ENP加盟国はEUと比べて政治的、経済的に遙かに貧窮しており、彼らはEUの統治方法がよいものであると納得している必要もあります。
EUは公式にはENP加盟国に条件を強いることは追求しないとしていますが、[196] EUのベストプラクティスに基づいたよい政策を実行するためのENP加盟国の技術的知識、経験、金融資源が欠如しているという現状、EUがENP加盟国を支援するための専門家と資源を持ち合わせている現状において、このコンディショナリティーの親と子の関係にあたる概念はまさにEUの先導によるアクションプランの場合となりえるものです。よってアクションプランは対等な両者の合意というよりはむしろ医師による処方箋もしくは更生計画として解釈することができます。さらにコンディショナリティーはENP加盟国にとってENPそのものの目的を達成するために必ずしも必要でない要素をアクションプランの政策工程として課するかもしれません。これらの要素はEUの加盟国によって提案され、ENP加盟国ではなくEU加盟国の利益であるかもしれないのです。EUはコンディショナリティーの概念をEUの東方拡大とあわせて採用したという事実を考慮すると、アクションプランの履行はすべてのEU加盟国の国益が含まれているコペンハーゲン基準とアキ・コミュノテールへの接近を意味します。この仕組みもしくはコンディショナリティーの特性としての命令的な力はオルセンが「欧州モデルの拡大が時に現実問題として植民地化、強要、強制の様相を呈する」という欧州機関の非EU加盟国を対象としたEU域外への輸出としての欧州化として定義するひとつの場合として解釈することができます。[197] さらにこれはまたマナーズが国家の主権を侵害することを欲する「規範的支配力の欧州(Normative Power Europe)」とEUを表現した場合にも相当します。[198] この欧州化としてのコンディショナリティーの支配力は議論を引き起こすものとなっています。

[186] Albi, A. (2009). p.211
[187] Wolczuk, K. (2009). p.190
[188] Grabbe, H. (1999). p.8, Noutcheva, G., Tocci, N., Coppieters, B., Kovziridze, T., Emerson, M., & Huysseune, M. (2004). pp.29-30, Trauner, F. (2009). p.776, Maier, A. (2008). pp.71,72,74,86, Gstöhl, S. (2008). pp.139-142, Briens, M. (2008). p.215, Högenauer, A.-L., & Friedel, M. (2008). pp.267-268, Schimmelfennig, F. (2005). p.831, Kochenov, D. (2007). p.469, Manners, I. (2002). p.245
[189] Buira, A. (2003). pp.1-2
[190] Ibid. p.3
[191] European Commission. (2004, 05 12). European Neighbourhood Policy Strategy Paper. p.8
[192] Olsen, J. P. (2002). p. 939
[193] Sasse, G. (2008). pp.302-303
[194] Buira, A. (2003). p.12
[195] Mahncke, D. (2008). p.22
[196] European Commission. (2004, 05 12). European Neighbourhood Policy Strategy Paper. p.8
[197] Olsen, J. P. (2002). pp.924, 938
[198] Manners, I. (2002). p.252

2012年3月4日

5.1 欧州近隣政策 (ENP)

2004年のEU東方拡大以降の東ヨーロッパの地方においてEUの隣国と良好な関係を構築する必要性が欧州近隣政策の設立を動機づけました。[168]ENPは明示的に将来の加盟への展望を除外してものではありますが、EU東方拡大における制度上および手続き上の経験に基づいたものです。[169]ENPの実行のためにEUの声明として一連の文書が発行されました。この節ではENPの公式の目的とこれらの文書を通じての手続きを次の節でENPを分析するために把握します。
ENPの起源は2002年に英国がウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、ロシアを対象として「より広大な欧州」の先導を求めたことによって発展しました。[170] 2002年12月、欧州委員会委員長のプロディがEUの隣国との関係を扱う近隣の政策を「パートナー以上、EU加盟未満、そして加盟を除外することなく」という表現と共に表明しました。[171] 公式な宣言は2003年3月11日の欧州委員会による声明として宣言されました。ウクライナは対象国のひとつでした。その声明はウクライナに「EU域内の市場へのアクセス」への見通しと人、財、サービス、資本の移動の自由をEUに加盟することなくさらに統合・自由化を提供することでした。その対価としてEUと価値観の共有、アキ・コミュノテールといわれるEUの法体系と対象国との法体系を整列させることを含む政治経済の改革において具体的な進展が対象国は求められました。[172]この書類においてプログラムの利点と便宜を受けるための条件が明らかになりました。この声明はまた目標と評価基準を設定するアクションプランについても言及しました。[173]
2004年5月12日に発行された戦略文書に明記されたENPの目標は「2004年のEU東方拡大の利益を安定化、安全保障、すべてに関する福利において近隣諸国と共有すること」[174] および「拡大したEUとその近隣諸国との間での新たな分割の台頭を防ぎ、彼らにさらなる政治的、安全保障上、経済的、文化的な協力を通じて多様なEUの活動へ参加する機会を提供すること」としています。[175] EUはEUとEU非加盟国の間での広範囲な分野での分割を緩和したかったのです。この目的はアクションプランによって実施されることとなりました。
アクションプランはプログラムの具体的な計画というよりはむしろ計画不履行の場合に法的拘束力がなく、以前から存在している契約で保証されたEUとの関係に基づいた目的の政治的な宣言です。[176]アクションプランは1994年に調印され1998年3月に施行され[177]、幅広い分野における協力を提供するEUとウクライナの関係における法的枠組みを構成するパートナーシップと協力合意(PCA)を置き換えずに強化することを目的としました。EUはアクションプランをENP加盟国と個別に締結します。よってアクションプランの内容はENP加盟国がどの程度EUに接近したいのかに依存することになり、それらは国々によって異なるものになります。EUはこの点を「共有の所有権」として強調しており、それは「共通の合意とENP加盟国の意志」として定義されています。[178]
2005年2月21日のEUとウクライナのアクションプランは3年間わたって設定されました。PCAまたは提携合意は法的、規制力をもつEU法への接近のための工程表を作成しませんでした。[179]アクションプランの実行はPCAの既存の合意を助け、ウクライナの法律、規範、基準、がEUのそれらへの接近を前進させることを目的としました。[180] それはPCAを履行するための具体的な段取りを明記し、現状の協力関係をさらに発展させることを奨励しました。[181]ウクライナにおいてアクションプランはクチマ政権によって合意されました。ユーシェンコ大統領は2005年にウクライナのEU加盟を目標として主張し、宣言とアクションプランの実行の溝を埋めることを約束したにもかかわらず、ユーシェンコ政権はクチマ政権によって1998年と2000年に採択されたウクライナのEUへの統合に関する国内の主要な文書を更新しませんでした。[182]
アクションプランは特定の活動のための優先順位を設定しそれらは監視、評価されることができる評価基準で構成されました。監視は共有の所有権を補強すべきであり、ENP加盟国は詳細な情報を共有の監視活動という原則としてEUに提供することが求められました。そして欧州委員会はENP加盟国による評価が考慮され、ENP加盟国がさらなる努力を行う定期的な進捗報告書を発行します。[183] ウクライナの場合、EUとウクライナの協力議会がアクションプランの実行を監視することになりました。[184] 2006年以来、欧州委員会は年時の進捗報告書を発行しています。
コンディショナリティーの概念は戦略文書で言及されましたが、ENP加盟国がアクションプランの目的を履行する限りにおいてEUはEU域内の市場へのアクセスや金融・技術的支援のような利点をENP加盟国に提供することになっていました。[185]

[168] Bürger, J. (2008). p.165
[169] Sasse, G. (2008). p.295
[170] Mahncke, D. (2008). p.23
[171] Prodi, R. (2002, 12 06). Romano Prodi President of the European Commission A Wider Europe - A Proximity Policy as the key to stability "Peace, Security And Stability International Dialogue and the Role of the EU" Sixth ECSA-World Conference. Jean Monnet Project. Brussels, 5-6 December 2002.
[172] European Commission. (2003, 03 11). Neighbourhood: A new framework for relations with our Eastern and Southern neighbours. p.10
[173] Ibid. p.16
[174] European Commission. (2004, 05 12). European Neighbourhood Policy Strategy Paper. p.3
[175] Ibid.
[176] Mahncke, D. (2008). p.37
[177] European Commission. (2004, 05 12). European Neighbourhood Policy Country Report: Ukraine. p.3
[178] European Commission. (2004, 05 12). European Neighbourhood Policy Strategy Paper. p.8
[179] Gstöhl, S. (2008). pp.152-153
[180] European Commission. (2005). EU/Ukraine Action Plan. p.1
[181] Bürger, J. (2008). p.168
[182] Wolczuk, K. (2009). p.200
[183] European Commission. (2004, 05 12). European Neighbourhood Policy Strategy Paper. pp.9-10
[184] European Commission. (2005). EU/Ukraine Action Plan. p.42
[185] European Commission. (2004, 05 12). European Neighbourhood Policy Strategy Paper. pp.4, 8, 9, 25

2012年3月3日

5 欧州化の波から見るEU・ウクライナ関係

2004年はウクライナにとって独立以来最も重要な年であり、EUの東方拡大の結果としてEUと直接境界に接する歴史的なシフトをもたらしました。一連のEU東方拡大での出来事は実際にはウクライナの領域を変更するものではありませんでしたが、21世紀における政治的、経済的、地理的な意味での新しい国境線画定としてとらえることができます。ウクライナの西部国境線がEUの国境と一致して以来EUはウクライナに何を提供してきたのでしょうか?この問いは第五章での基本的な問題です。よってEUの隣人としてのウクライナにとって2004年からのEUとの関係を解釈することは避けて通れないことなのです。
EUは政治的、経済的に最も発展して豊かな隣人なので、ウクライナのような1990年代に新たに独立した国家が凝視してきた成功モデルもしくはベストプラクティスとしてEUは見られてきました。1998年6月、ウクライナ大統領クチマは長期的な戦略的目標と重要な先見事項としてウクライナのEU加盟を目標とする政令に署名しました。[167] クチマの後任者であるユーシェンコは独立後のどの大統領よりもEUへの傾向を強めました。民主国家としての20年間に及ぶウクライナの国家建設は進展していたはずです。
第五章の目的はウクライナがどの程度EUとの関係を通じて発展してきたのかを欧州的観点から調査することです。欧州的規範に基づいてウクライナの発展度合いを計測するために第五章ではまずEUがウクライナとの関係を定義する欧州近隣政策(ENP)を欧州化の波として焦点を当てます。それに続く節ではENPの核心となる概念であり欧州化の具体的な形であるコンディショナリティーという概念に基づいてENPの背景にあるEUとウクライナの関係を分析します。そしてENPの現状を簡潔に確認した後、ウクライナの発展度合を欧州委員会の報告書と共に計測します。
第五章はウクライナのEU加盟問題を議論するものではありませんが、この問題はEUの東方拡大過程で重要な役割を演じたコンディショナリティーを議論することは避けて通れず、現実的なことです。EUとウクライナの関係を解釈し、EUとウクライナの距離をウクライナの発展度合という観点から計測するため、このコンディショナリティーの議論は将来のウクライナのEU加盟について何か示唆するようなことがあるかもしれません。

[167] Wolczuk, K. (2009). p.192

2012年3月2日

4.5 第四章まとめ:クリミア半島の自治権

クリミア半島の歴史と民族構成はクリミアがソビエト連邦崩壊後に深刻な民族対立を起こしていたかもしれない十分な条件が整っていたことを示しました。しかし1990年代にクリミアで発生したことは主に民族対立というよりはむしろ中央政府と地方政府の対立でした。 このタイプの対立の背景にある理由としては以下の2点があげられます。第一に1990年代初頭のロシア人による民族運動はクリミア経済が独立後に疲弊する中でロシア人のアイデンティティーが曖昧であったために持続的ではなかったことです。メシュコフ政権の浮き沈みはこの弱い団結を表しています。第二にロシア議会が情勢の流動化に拍車をかけていた中でイェリツィン政権がクリミアにおけるロシア人の民族主義からは距離を置いたことです。これらの2点は純粋なキエフとシンフェロポリによる対立の構図を作り上げたのです。
コーネルが指摘した3つのリスクはクリミアの場合では相殺されました。闘争の結果による憲法に明記された「ウクライナにおけるクリミアの自治権」はさらなる自治への要求を和らげることができます。ソビエト政権下の土着化政策によって1920年代にクリミアに自治権があったという既成事実は1990年代初頭にクリミアに自治権を与えることに貢献しました。ロシアの関与の欠如はクリミアの政治情勢流動化に対する介入の可能性を減少させるものでした。これらの理由はクリミアに自治権を付与することに対して正当性の感覚を与えました。
中央政府と地方政府の権力闘争の中で、ウクライナの国家建設とクリミアの地位問題は両者の注目を憲法制定へと向かわせました。長引いた憲法制定過程はOSCEの調停によって両者の妥協を引き出しました。ウクライナにおける自治という地位はキエフがクリミアをウクライナ主権下へ収め、シンフェロポリは自治権の地位を憲法へ明記することに成功したお互いの妥協を象徴しています。セヴァストポリの賃貸合意とロシアとの条約締結はウクライナにクリミアでの主権を承認することになり、クリミアに対するロシアのこれ以上の野心を防ぐことになります。憲法上および国際的に中央政府のキエフがクリミアを支配下に置いたことはウクライナの国家建設を強化することになったのです。この意味においてクリミアの地位に関する交渉は中央政府に対して好ましい影響を与えたのです。
最後にクリミア・タタール人は完全に蚊帳の外でした。いったん問題が中央政府と地方政府の対立となると、人数の少ないタタール人にとっては彼らの声を代表する余地がありませんでした。クリミアのロシア人とは異なりクリミア・タタール人は彼らに肩入れを行う親類となる国家がありませんでした。1990年代タタール人はよく組織されていましたが、彼ら置かれた立場はとても貧窮した状態でした。外国からの援助のないクリミア人口の12.1%を占めるにすぎない少数民族が1990年代にロシア人がおこなったようなクリミアでの政治情勢を流動化させることは困難でしょう。しかしこの解決されていないタタール人の問題が今後解決されるべきリスクであることには疑いの余地はありません。

2012年3月1日

4.4.2 欧州安全保障協力機構(OSCE)の役割

クリミアにおける政治情勢の流動化はロシアだけではなくその他の国際機関とも密接に関連していました。国際連合、欧州安全保障協力機構(OSCE)、欧州評議会、欧州連合(EU)など少なくとも4つの国際機関がクリミアに関与していました。特にOSCE国家少数民族高等弁務官は憲法制定過程で重要な役割を果たしました。1994年2月、初代国家少数民族高等弁務官マックス・ファンデアストールはOSCEの原則に基づいた政治的解決を促進するためにウクライナ政府によって招聘され、憲法制定過程での重要な提言を行いました。彼の提案はクリミアとウクライナの両憲法に「ウクライナにおけるクリミア自治の地位」という条項を挿入することでした。クリミア憲法はウクライナ語を国語として、ロシア語とタタール語は公用語として採用されるべきと彼は提案しました。さらにクリミアは分離独立したクリミア国民の要求を取り下げるべきとも主張しました。これらの提案はキエフとシンフェロポリの両者によって受け入れられ、両者の妥協を引き出しました。[164]
国家少数民族高等弁務官は憲法制定プロセスへの介入だけはなく少数民族の地位改善、特にクリミア・タタール人の地位改善に貢献しました。1991年11月13日にウクライナ市民権法が施行された後、1万800人もの主にウズベキスタンからのクリミアへ帰還したクリミア・タタール人はウクライナの市民権を持っていませんでした。よって彼らは選挙で投票する権利がありませんでした。[165] ウクライナは二重国籍を認めないため帰還者は以前の国籍を放棄しなければなりませんでした。しかしウズベキスタンの場合を見てみると国籍を放棄する手続きは時間と費用がたくさんかかりました。国家少数民族高等弁務官の提言後、ウクライナ・ウズベキスタンの両政府はウクライナへの帰還者への国籍の移管を効率的に行えるようにする二重国籍防止に関する合意に調印しました。2万5千人ものタタール人がこの合意の恩恵を受けました。[166]
ロシア議会がクリミアに対する民族主義的な決議を採択したとき、イェリツィン政権はクリミアにおける政治情勢の流動化を支持しませんでした。さらにチェチェン戦争はロシアがクリミアから距離を置く要因となりました。これらのふたつの要因はクリミア情勢の流動化を下火にしました。ロシアがクリミアから距離を置いたことはコーネルの第三の指摘部分の土台を崩すことになります。核武装解除の条約、20年間のセヴァストポリ貸し出し条約、友好条約はロシアが核兵器と黒海艦隊を手に入れる代わりにクリミアとセヴァストポリにおけるウクライナの主権を認めることを表しています。これらの条約はロシア議会がさらなる要求を行うことを防ぐことになりました。OSCEの役割は憲法制定過程で重要でした。OSCEの介入はキエフとシンフェロポリの両者に妥協をもたらしました。ウクライナにおけるクリミアの自治というアイデアはOSCEによって提案され、それは交渉の決裂を防いだのです。

[164] Bowring, B. (2005). pp.83-84
[165] Shevel, O. (2001). Crimean Tatars and the Ukrainian state: the challenge of politics, the use of law, and the meaning of rhetoric.
[166] Bowring, B. (2002). p.66

目次

はじめに 1.序論 2. ロシアとしてのソビエト連邦との歴史的関係 2.1 ウクライナ国家の形成とその余波 2.1.1中央ラーダとウニヴェルサール 2.1.2 ヘトマン 2.1.3内戦とディレクトーリヤ 2.2 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の成立...